塩狩峠の「しおかり駅」から (和寒町)

塩狩峠の「しおかり駅」から (和寒町)油絵 A4号 横333x縦242  2021年5月制作

HP開設以来毎日多くの人たちが読んでくれているのが「長野政雄」のコラムです。
鉄道院(国鉄の前身)の職員だった長野政雄は、名寄発旭川行の最終列車で塩狩峠の頂上付近で連結器が外れ、逆走する客車を停止させるために床下に巻き込まれて殉職しました。
峠には三浦綾子の代表作の一つ「塩狩峠」にちなみ、三浦の雑貨屋を移築し和寒町が管理しています。
殉職碑の近くには、新しくなったユースホステルもあります。

事故が起きた明治42年2月28日には「しおかり」駅は無く、大正5年9月に宗谷線の塩狩信号所として設置されました。
松浦武四郎が明治2年に、石狩国・天塩国など11国を提案します。しおかり峠とは国と国の境として一字ずつ取り「塩狩峠」と名付けました。

私がHPを絵のサイトだけでなく北海道の様々な記事を書くようになったきっかけは「長野政雄」にアクセスする多くの人がいることに興味を持ったからです。インターネットは世界共通なので、各国の人が容易にHPを訪問してくれます。日本人も含めて世界の人たちは北海道の何に関心があるのか大変興味を持ちました。

開設して一年半。1700のコラムを書き5万5千のアクセスがありました。まだまだ書きたいことがあるのでアクセスが50万を超えると、ある程度データーに信ぴょう性が出てくると思い楽しみにしています。
こうなると「世界の人が見たい北海道ベスト10」を絵にしてみたいと思います。